愛を呼吸に乗せて

毎月新月に行っているオンラインでの瞑想会

今回は11月12日(日)20:00から Zoomで開催。

「慈悲の瞑想」を行ってみたいと思っています。

 

詳細はこちらです。

 

私はこの慈悲の瞑想がとりわけ好きで

しんどくなると、祈るような気持ちでこの瞑想を実践していた。

 

これは本当に祈りなのだと思う。

 

仏教の流派の中でも、さまざまな慈悲の瞑想法があるけれど

私が好んでいるのはチベット仏教の「トンレン」というメソッド。

個人的に、チベット仏教は非常に「慈悲」「利他心」を重んじる印象を持っている。

この「トンレン」もかつては秘儀として師匠から弟子へと伝えられたもののようだ。

 

ブッダが創始した初期仏教は、それほど「慈悲」「利他心」の要素は

大きくクローズアップされてはいない。

他者を救うというよりも、あくまでも個人が修行して解脱する傾向が強い。

 

初期仏教から「大乗仏教」が派生したとき、仏教は大きく変容したと言われている。

そしてその変容には、中近東からやってきた

ある人物が関わっているのでは、一部の研究者の間で言われているようだ。

 

それがイエスの十二弟子の一人であったトマスである。

トマスはインドにキリスト教を伝えた人物として知られている。

彼はイエスの死後、南インドケーララ州のマラバル海岸に辿り着き、そこで伝道活動を行なった。

その年代と大乗仏教の成立年代がリンクするのだそうだ。

しかも大乗仏教の祖となった龍樹(ナーガルジュナ)は南インドの出身だからだ。

 

それがどこまで検証され、事実とされているかは分からない。

なにしろ、イエスが若い頃にインドで修行したという説だってあるのだから。

しかしケーララの人々は皆、自分はトマス直径の弟子だと信じている。

いずれにせよ、ブッダとイエスにはどこか繋がり合うところがあると

人は直感的に感じるのだろう。

 

私もチベット仏教に興味を持って、ダラムサラに学びに行ったとき

これは何となくキリスト教と近いものがあるなあ、と感じたものだ。

もしかしたら、西洋人の出家者が多いので

とりわけそのような「慈悲」「利他心」といった隣人愛的な要素が

クローズアップされてきたのかもしれないし、その要素があるからこそ

西洋人を惹きつけたのかもしれない。

 

「トンレン」というメソッドも

キリスト教的な隣人愛とインド的な心身の修行法がいい感じで融合されている。

ただ祈るだけではなく、呼吸とイメージを使うからだ。

呼吸はヨギにとっては命の源プラーナを運ぶものであり、

聖書の民にとっては、聖霊の現れである。

(神様は人間の体に呼吸を吹き込んで、生ける存在とした。)

 

この呼吸に慈悲を乗せて世界に放っていくのだから、奥が深いのだ。

しかも「技法」とすることで、宗教を超えて誰もが実践できる。

 

ところでこの使徒トマスという人物はなかなか謎めいていて

一説には「達磨大師」のオリジンとなったのではという人までいる。

東の霊性を語る上で、実は欠かせない人物なのだ。

※写真はタミルナドゥ州で最も古い教会「聖マリア教会」柱の部分はAD63年にできたと言われている。
とても雰囲気のある場所で、また再訪してみたい。