2月に入ってから、生活が大きく変わりました。
28年ぶりにフルタイム勤務、しかも正規雇用で雇っていただき
毎日が一気に慌ただしくなりました。
次回に引き続き福祉関係の仕事で、障害者の通所施設で支援員として働いています。
利用者さんが帰宅する夕方までは、バタバタと休みなく慌ただしく動き回り、帰宅して疲労困憊です。
なんだか飛ぶように毎日が過ぎていきます。
体を慣らすのに精一杯で、今のところ平日はほとんど帰って寝るだけです。
反動で休日になるとどこかへ出かけたくなるので
メリハリがあると言えばある訳ですが。家でゆっくり過ごす時間が一気に減ってしまいました。
まあ、人生そんな時期もあるのでしょう。
奇しくも、新しい職場で働き始めた時に、土星がほぼ月の真上に来て、サディサティのピークの時でした。
ああ、こういう展開になったのねえ、という感じです。
以前のブログにも書きましたが、インド占星術では土星が月の在住するハウスの12ハウス目、1ハウス目、2ハウス目
を通過する7年半をサディサティと呼び、試練や責任を負いやすい時期と言われます。
それはただ無意味な不幸の連鎖だけが起こるのではなく、7年半の大きなプロセスのように感じています。
一応山登りに例えてみると、月の真上というのはそのプロセスの頂上みたいなものかもしれません。
今自分が引き受けなければならない、責任や重圧や試練の現実が見えるイメージです。
ここからゆっくり降っていく訳ですが、現実が楽になるというよりは
自分が向き合っていること、引き受けることが明らかになって、
現実が動き出してくるので、見えない重圧に押される感じがなく、そういう点では
ピークを過ぎたあたりから、気持ち的には楽になりました。
自分がどこに向かっているのか分からないのではなく、登っていた山が見えたので、そこをひたひた登るイメージです。
ちなみに、28年ぶりのフルタイム勤務と書きましたが、28年前もちょうどサディサティの時期でした。
その頃は今はなき、知っている人は年がバレる、「WAVE」でCDを売っていました。
音楽が好きで入社したものの思ったよりも手応えを感じられず、毎日出勤に追われる日々に鬱々とした思いを抱いていました。
なんでお金のために自分の魂売って働かなきゃ行けないんだ、と毒づいたりもしていました。
その中で、自分の好きなことをして生きたい、食べていきたい、と願うようになりました。
そうだ!絵を描こう、絵ならずっと歳をとっても続けていける。
そこから長い旅が始まったのですが、確かにその間自分の好きなように生きてきました。
流石に28年やり切ったのか、今回のサディサティでは
不思議なことに、そうした欲求不満は雪のように溶けていました。
だから、今は会社の奴隷になって働かされているという感じもなく
働いた分だけちゃんとお金をもらえるって、なんと有難いことかと感じられます。
楽では全然ないんですけどね。
好きなことをして生きていた頃は、24時間常に自分のことに追われていました。
何かしなければ、もっと何かしなければ、もっともっと自分に有益になる何かを
と、何もしていなくても追われていたように思います。
今はこれまでとは全然違うモードで生きているので
戸惑いを感じながらも、案外そこから、いつか新しい何かが生まれてくるのじゃないかと思ったりしています。
障害者の支援は、色々と大変ですが、気付かされることもとても多い仕事です。
障害っていうのは、結局社会的な定義なんんじゃないかと思うんです。
つまり「社会」的に普通に生活できない人が障がい者と言われます。
それは人間が決めた定義に過ぎないんだなって思うのです。
私はこの社会では一応普通(?)に生きてますけど、
もしもテレパシーで会話して、念力でものを動かすのが普通の社会があったら、
立派な障がい者ですから。もしかしたら自分が今接している人たちも
自分が想像できないような眼差しで世界を見ていて、
想像できないような能力を持っているのかもしれないと思うのです。
体が慣れるまでは、しばらくこのブログも滞りがちになるでしょう。
できる範囲で更新していきたいと思います。