金星に想う

「明けの明星、曙の子よ、どうして天から落ちたのか。諸国民を打ち負かした者が、どうして地に打ち捨てられたのか。」

                                                                                                                                                    イザヤ書14章12節

 

最近私は、引っ越したい病に取り憑かれいます。毎日賃貸情報サイトを眺めては、ああだこうだと妄想したり、申し込もうと決意しようとするものの、何か物事はうまく運ばず、多分今はまだタイミングじゃないんだろうなあ、と理性では感じていながら、賃貸情報を検索せずにはいられません。

 

ダシャーを見ると水星:木星:金星期。うーん、なるほどなって感じです。木星と金星の吉星コンビはどうも私の気を大きくさせるらしく、過去を振り返っても、度々この時期に引っ越しをしています。

 

今住んでいる横浜の住まいは、家賃は安いし眺めも良いしでとても気に入ってはいるものの、何せ設備は古いし、バスを使うので何かと不便。そんな訳で、木星と金星の拡大したいエネルギーと、4室をトランジット中のラーフが、私を「より良い住まい」への欲望に駆り立てているようです。

 

木星と金星は両方ともインド占星術の中では最大吉星す。その二つが絡むとラッキー倍増となりそうですが、実は吉星であっても相反するエネルギーを持っており、組み合わさると一筋縄ではいかない、と言われます。葛藤を引き起こしたり、吉星の吉星たる性質の一つである「拡大する」エネルギーがバグって、歯止めが効かなくなりやすいのです。私の場合、二番目のアンタラダシャーと三番目のプラティアンタルダシャーでの木星金星のコンビで期間も数ヶ月ですが、マハーダシャー木星期のアンタラダシャー金星とか、その逆の金星:木星期では数年に及ぶのでより注意が必要と言われます。

 

木星は「グル」の星。射手座と魚座を支配し、9室的な性質を持っています。高等教育、法、巡礼、出版、宗教や哲学。高い精神性を持ち、私たちをより良きものへと押し上げてくれる、保護してくれる、加護を与えてくれる存在です。

 

一方金星は「阿修羅のグル」と呼ばれこの世的なエネルギーが強いのです。牡牛座と天秤座を支配し、英語では「ヴィーナス」という呼び名が示すごとく、五感から生み出される快楽、美しさ、パートナーシップ、人間関係、芸術、所有物、お金、を管轄しています。ちなみに金星は家を表す4質に在住すると力が強まります。金星の快適さを求めるエネルギーが最も発揮しやすいのが「住まい」と言えるのかもしれません。

 

さて、グルとヴィーナスが一緒にいるとどうなるか?この三次元世界では、大概ヴィーナスが勝つことになっているようです。堅物な大学教授が美女に溺れて身を持ち崩す。よくある話です。そして欲望のタガが外れたグルほど、タチの悪いものはありません。

 

多分今の私も木星と金星に煽られて、金星を満たしたい病に、まんまとかかっているようです。今年からフルタイムで働き始めたおかげで、圧倒的に時間がなくなった反面、生活は多少安定しました。のんびりしている時間、ぼーっとしている時間。ヨガや瞑想をしている時間。思索したり、創作したり、内側を見つめる時間。その時間を使ってお金を得た結果、前よりも好きなものが買えるようになりました。

 

世の宗教家、哲学者、心理学者、成功者も、みな口を揃えて言うことは「お金では真の幸福は買えない。」ということです。物質的な豊かさは、快適さを与えてくれますが、それは泡のように儚いのだと。でも、そうであっても、お金は、乾いた人生に彩りや潤い、喜びや安心を与えてくれるのも、また事実です。

 

いつもよりちょっといい食材を買ったり、花を飾ったり、肌触りの良い服を着たり、友達とランチに行ったり。そうした、ささやかな豊かさを享受できるようになりました。自分の中にある金星のエネルギーが満たされている、という感覚を感じます。それで、めでたしめでたし、で終われば良いのですが、それで終わらないのが金星が「阿修羅のグル」と呼ばれる所以かもしれません。

 

そうなのです、「もっと、もっと、次はこれ」と囁き、終わりがないのです。この快適さを手に入れたら、さらに満たされ、さらに幸せになれる、と金星は言うのです。理性ではその歯止めの効かない欲望を満たしたところで、永続する幸せなど手にできないと知っているくせに、それを満たさずにはいられなくなるのです。

 

そもそも、射手座ラグナの私にとって金星は相性の悪い星、なのでこんな要注意事態に陥りやすいのかもしれません。とはいえ、果たして、金星が真に求めていることは、一体なんなのだろう‏?と考えてみますと、それはインド占星術で金星が最も高揚するのが「魚座」だということに秘密が隠されているように思うのです。

 

12星座のラストである魚座は、大海で泳ぐ魚がシンボルで、俗世間を離れた、宗教的で奉仕的なエネルギーを持っています。非常にスピリチュアルな星座です。境界を溶解させ、全てを包み込み、飲み込んでいきます。金星が「もっと、もっと」と囁く時、それは彼女のどんどん拡大したいというエネルギーの表れなのかもしれません。でもそれは、消費の方向ではなく、もっと大きなものの中に自分を溶け込ませ、溶解させたいという深い欲望なのかもしれません。彼女の真の望みは、「エロス(性愛)」よりも「アガペ(無償の愛)」であり、神聖なものと一体化し、本当の、仮初ではない至福を手にすることなのかもしれません。

 

けれど、私たち自身が、この世の法則に染まりきってしまって、金星をスピリチュアルな方向へどう転換をどうして良いのか分からないのです。だからいつもその空虚を埋めるために、もっと素敵な何かを探して、手を伸ばし続けます。本当は逆なのかもしれません。掴むのではなく自分を差し出すこと。広げること。受け入れること。注がれる器となること。

 

ちなみに、冒頭に載せたイザヤ書の中の「明けの明星、曙の子よ」という聖句は、実際はバビロンの王への呼びかけではありますが、後に堕天使ルシファーに重ね合わされていきます。美しく優れた天使であったのに、神に叛逆したため地に落とされたルシファー。その栄華と堕落が金星と結びつくのは、金星は夜明け前に最も明るく輝くことから、光と美を象徴し、さらにその後消えることで、堕落の象徴になったそうです。

 

しかしインド占星術での金星の解釈はもう一捻り効いています。金星の栄華を求める、拡大のエネルギーをより精神的な方向へ転換させる可能性を捨てていません。それこそが金星が最も輝く在り方だという訳です。

 

インド占星術において金星が最も減衰するのは対面の「おとめ座」です。地の星座である乙女座は、知性を象徴する水星が高揚する場所です。賢く現実的で地に足がついています。頭の回転が早く、いつも頭の中でコスパやタイパを考えているようなイメージです。しかしそんな「頭の良さ」に絡め取られる時、金星は最も元気をなくしてしまうのです。

 

本来金星は大らかに拡大するのが自然な状態であり、もっともっと豊かになろうとするエネルギーなのでしょう。それを自分のためだけに使うのか、もっと大きなもののために使うのか。その方向性を違えるだけで、金星は悪魔にも天使にもなりうるのかもしれません。

 

とはいえ私は水星:木星:金星が過ぎ去る秋までは、なんとか拡大しすぎず、理性を使って気を引き締めようと思います!